夕張市立真谷地小学校
明治43年5月26日開校 昭和50年3月31日閉校
平成20年5月未訪問
かつての国鉄沼ノ沢駅から分岐していた真谷地炭鉱専用鉄道
その終点にあったのが北炭真谷地炭鉱であった
写真左手をその鉄道が走り
右手の瓦礫が建築時総合事務所であった
資材置き場として残されていたその建物も
今年解体されてご覧の様子
終点の真谷地駅跡はこのすぐ先
奥には旧炭鉱事務所の大きな建物が見えている
真谷地駅や炭鉱施設のあった辺りの
左手斜面から奥地に向かって炭鉱住宅が広がっていたのだが
現在は更地と化し
そこへと向かう道は普段通行止めとなっている
今年始まった一連の解体作業のためか
運良くゲートが開いていた
そしてこの総合事務所建物が
完全に解体される前にも どうにか間に合った
ゲートの先の道を進んで行き
住宅が建ち並んでいた辺りを撮影
現在は両脇に自然が広がる 荒れた舗装道路が寂しく残るだけである
それも数百b進むとご覧のゲートにより通行止め
ここより先にも何軒もの住宅があったようだ
そのゲート先の舗装部分ではなく
右手に分岐し下って行く草生した道が
これが真谷地小学校跡地へと続く道
下りて行くと少し開けた風景が確認出来たが
構造物は何も見当たらない
ここにも建物があったのだろう
正面には小さな橋が架かっていたようだが
熊の恐怖に怖じ気付いてしまい 近づく事が出来なかった
右側に迂回しながら奥へと進む轍が何となく分かるだろうか
真谷地小学校跡地は写真正面の谷間を
おそらく500メートルぐらい進んだ場所にあるのではないだろうか
複数の仲間がいれば何とかその地まで行くことが出来そうだ
その地には学校跡地の碑が
草むらに隠れながら残っているという
いつもながら
人々の生活があった事さえ想像しがたいが
そこに学校があったというのだから
廃校探索はやめられない
大変ありがたい事に平成23年6月
力強い仲間と 真谷地小学校跡地の碑に会うために再訪することが出来た
学校跡地へと降りていく分岐にはやはりこのゲート
車輌で進入しなくても済む位置だったことに感謝する
もしここより数キロ先だったりしたら
おそらく諦めていたかもしれない
前回の訪問は5月の雪解け時期
今回は6月 草が育ち始めると風景も違って見える
その道を 逸る気持ちを抑えこみながら下って行く
住宅があったであろう広場に降りた
前回はここで熊の恐怖に断念して戻ったのである
今回は非常に頼もしい仲間がいるので
その恐怖はない
学校へと続いていた道路の橋は崩れている
これを前回遠目に確認していたのだ
しかし今回は上に登ったりもした
その先の風景 自然に帰っている
が当時もこの様な風景だったのかもしれない
崩れた橋の奥 おそらく通学路だったと思われる坂道を進んで行く
進んで行くと左手にかつて道だったような空間が
後でわかったのだが
学校に隣接していた真谷地神社への参道だったようだ
さらに進んで行く
この上辺りに大きな木造校舎の小学校があったとは
とても思えないような風景が続く
先を進んでいた力強いお仲間から 何か声が聞こえたので
その辺りからとりあえず上にあがってみた
笹の海が広がる開けた空間がそこにはあった
そこから奥の山の方を眺めると 整然と木々が並んでいる
元は開けた平らな敷地 校庭跡地に植林したようだ
笹の広がる空間を彷徨っていると
お仲間さんの「ありました!」と興奮した声が
そしてこの構造物 はっきりと何かわかる状態でそこに存在していた
「真谷地小学校跡」
何度も夢に見た記念碑が 目の前に少々朽ちながら鎮座している
感動である
いざなってくれたウインデー様に心から感謝感謝
暫し感動の対面を噛み締めながら 辺りを見渡す
石碑は閉校後 隣接した真谷地神社の境内に設置されたとのこと
この風景に祠があったはずである
一段高くなっていた神社の境内から 校庭跡を望む
校舎はずっと奥に建っていたと思われる
植林された木々の中を探すと
何かの跡を発見したが なんだったのかは判らない
何かの窪みも発見
足元には気をつけないとならない
植林された空間を抜けると更に広がる風景が
校舎の位置はこの先だったかもしれないが
ご覧の風景と 石碑を発見した喜びでここから先までは進まなかった
山の斜面には 此処にあるものを守っていたかのような擁壁が確認出来た
戻ろうと振り返って見た風景
ここで暮らした人 真谷地小学校に通った人達が
この地に立ったのなら 何を思うのだろうかと考えていた
昭和34年に児童数335名
昭和22年から昭和27年までは中学校も併置されていた
同50年3月 真谷地西小学校へ統合され閉校となる