士別市立東陽小学校

大正7年5月16日開校   昭和43年4月1日閉校


平成19年4月訪問



この学校の位置は
士別市多寄町36線東8号
となっているので航空写真で確認すると
この建物の裏側が校庭跡のようになって写っている









しかし現地に来てみるとこの集会所のような建物と









この教員住宅?のような建物があるだけで
ここが本当に学校跡なのか確信を持てなかった
ただ付近をかなり調べたがやはりそれらしきものも無く
詳細を知っている方がいらっしゃったら
是非ご一報をいただければと思います









集会所らしき建て物の傍らには鉄棒のようなものもあるのだが
この丘の上に校舎があったのだろうか
残念ながら近くで農家の方が作業中
その小さな空き地を入念に確認出来なかったのが残念だ

何せほとんど外部の人がいないような場所なので
うろついているのがかなり目立ちます









ここから今回追加の平成22年再訪の部分

当初私が調べた位置は上の写真の交差点より1キロほど多寄側
所持する地図にも学校跡地の印を付けている
しかし何度探してもそれらしい空間が見つけられないでいた

上の写真の集会所らしき建物の
小さな空き地を確認に再訪したが
学校があったほどの広さはない

もう一度入念な下調べ
国土地理院がウェブ上でサービスする
「国土変遷アーカイブ」で古い空中写真を確認すると
当初私が想定していた位置に学校らしきものがある

グーグルアースでも確認し
小さな峠の途中に入り口があり
そこから数百bの奥に学校があった

その入り口を発見
現在は簡易なゲートが造られている









この奥に学校があったのだ
これだから廃校調査は終わることがない

この程度のものなら 奥へと進みじっくり調査出来そうだ









などの期待はすぐに打ち崩された

峠の途中に何カ所か入り込める写真のような場所があり
そのほとんどに
「関係者以外 立入禁止 株式会社○○○」
と某有名タイヤメーカーの名前が書かれている
そう この奥にはその研究施設があるようで
侵入者を拒んでいたのだ









先ほどのゲートの先 学校へ続く進入路
この辺りは立入禁止とは関係なさそうだが
同じようなゲート
看板は無いが もし誰かに通報されたらと思うと危険を冒してまではと

指をくわえて眺めるだけ
やっと本当の東陽小学校跡地を確定したというのに









木々の間から奥を眺めるしかない









上から遠望 少し開けた平らな空間には水芭蕉が咲く
しかし何ぜこの様な位置に学校があったのか不思議である

校門の一部や学校の基礎が確認出来るかもしれないが
出来ないかもしれない

それにしても
私が最初に勘違いした旧教員住宅のような
ブロック造りの紛らわしい建物は
何なのだろうか
士別市の廃校跡地付近でよく見かけるのだが・・・

引き続き情報求めます





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